ケとハレ どちらも

ああ大好き

と続きます☺️

何年もこの『ケ』と『ハレ』について考えてきました。折り合いがつかずに宙ぶらりんになった感覚で、仕方なく保留にしていましたが、今回、旅の体験により内なる調和をみましたので書いてみようと思います。

⚫️きっかけ

今回はご縁あってとある海辺のプチホテル様にお世話になりました。到着すると元気なレトリバーくんがお迎えしてくれる優しさいっぱいのお宿です。
本場イタリアで修行したオーナーシェフと旅人を優しく見守ってくれる奥様が切り盛りされています。


ここのところ、規模が比較的大きいリゾートホテル様に宿泊することが続いていましたので、雰囲気の違いも調和のきっかけとなったかも知れません。


⚫️地に脚か、興奮か?

生きている実感とは何ぞやとかつて思った時がありました。
それはまだ、今のように歩んだ道がなく、自分の人生が優しい人々からの授かり物で、受動的な状態から能動的な状態に切り替えの時が来たことを感じていた時のこと。

そもそも私にとって健康や元気というのは重ねた努力と最後は運に左右されたもので、なかなかままなりません。

平穏な日々に感謝したいと思いながらも、夢中になるものが無く生きることに対して罪悪感を持っている、そんな自分と向き合っていました。
(あくまで個人の若かりし頃のイチシーンです)

聞いたり調べたりしても、それは他者の見解。
自分の匙加減を見出すべく、振り子の幅を大きくして検証することに。


⚫️混濁からの脱却

現代生活では生活の選択肢が増え、個人の自由度が増した分、受け身でいるとケとハレは混濁してどちらでもないものになるようです。
そんな中で育った私はすでにケもハレもわからない状態。
自分にとってどれがどれやらわからないところから、ひとつひとつ仕分けの作業をし、どのような状態や組み合わせが心地良いのか割り出していくことにしました。

振り子のの幅を大きくするというのは、この場合、

A)仮ケ
とてもひっそりと体力を温存しながら淡々と生活に必要な作業をする時
→理論上体調も個人資産も安定しやすいらしいが、多くのひとが死んだような気分になりやすい、また人生の後半でくすぶっていたものを逆手に取られた詐欺被害に合うリスクが高いことも判明


Z)仮ハレ
体力をギリギリまで使いながら興味あることに大きく動いていく時
→とても充実感を得られるようだが、
・体調を崩す
・財産や家族を失う
・精神がハジョウする

等のヘビーな状況になりやすいことが判明。


どちらかだけを選びたくない私はこれらを極と極にして、大きく振幅させて自分にとってちょうど良いとは何か探ろうと考えました。

(ケとハレの詳細な概念は個人個人で違うと思うので、仮とつけました)


⚫️クズ男になるわけにはいかない

それから時を経て、人生の選択肢やプランニングに満足しながら歩めるようになっていました。
けれどほとんど掴みかけてはいたものの、どうも最後のハマりが悪い。

そんな時の、旅でした。

課題は何だったかというと、
『ルーティーンになった途端、夢中だったものに魅力が感じられなくなる』

ということ。

なんだか、相手の気持ちが自分に向いたら興味なくなるクズ男のようで残念。

大人なのでわかりやすく投げ出したりはしませんが、何か違う。

様々なシーンで聞き取りし、世の資料を調べても、これは当たり前のこととされています。

『人間は夢中になってドパミンが出ているときには快楽を感じるけれど、その時が過ぎたら快楽感も終わってしまう。』

しかし私は納得できませんでした。

大好きで夢中で始めたことが、安定してきたらつまらなくなるなんて変だ!

その先に、私にはまだ知らない、資料にも上がってきていない、何かがあるはずだ!



⚫️ケの中のハレ、ハレの中のケ


ケとハレ
これは対極にあるのではなく、どちらもあって生活(人生)の調和がとれるのでは?

あたかも太陰太極図のように。

そう考えたとき、完全なる線引きはアンバランスということになります。


わからないままに旅を取り入れた生活を続け、これで良い、否、今はこれが良い!という実感はあれど、調和とは少しズレてしまう。

その最後のミッシングリンクは薄紙1枚。
つながりそうでしっくりこない。

しばらく感じ続けていたそれが、今回晴れていったような気がしています。

美味しく美しくシェフが考え抜いた優しいお料理。

この煌びやかさが、日々自分で作る食事のおいしさと滋味深さを照らしてくれます。
家族が作ってくれた食事、淹れてくれたお茶の一杯も。

近所の方々が長い時間をかけて手入れした、わけてくださった美味しいお野菜、自宅の庭でとれたささやかな果樹、スーパーにならぶ商品も誰かのしごとに想いを馳せて、手に取れる幸運を思えばば輝きが変わります。

係の方が手入れしてくれた清潔感のあるリネンや施設、夢のようなインテリアが、

日々工夫して、自分の体調や家族の事情に合った家や暮らしの品々を照らしてくれました。

どちらもあって、どちらも輝く。

否定ではなく、調和で繋がり、循環し始めた景色。この満ちた感覚は滋味深いマナのようなものかもしれません。


⚫️螺旋で巡る
2025年は、ここまで積み上げているのにまたこれをやらないといけないのか!?ということが重なった年。もう卒業したと思ったことが、様々に現れてきました。
有難いことにそれらが見せかけのイリュージョンで、ちゃんと前進できる、できているから大丈夫ということもまた様々に示された一年でした。

その仕上げの時期にこういった出来事があって、本当に嬉しく思います。

良い2026年へのスタートとなりました。

今年支えてくださった皆様、関わってくださった皆様、環境に、心から感謝し、つくりだすものへの楽しさや味わいに変えていけたらと思います。

2025.12/19 ましろ